日々ぐるぐると悩んだり思考がまとまらないなら書けばいいじゃない

人間不信

色々あった流れで上司に辞めることを考えてることを伝えた。想像していたヒステリーのような姿は無かったけど、予想通り、いろんな言葉でこの仕事を続けて欲しいとは言われた。

 

人間不信だからか、そうじゃなくてもなのかわからないけど、いつからか上司の言葉が『私のため』の言葉ではなく『上司のため』の言葉に聞こえるようになってしまって、そりゃあ社歴の長い私がいなくなったら大変だもんね(でも私の人生のことは何も考えてないよね)と思うようになってしまった。

実際はその通りかもしれないし、全く違うかも知れないし、半々かも知れないけど。

 

家族に対しても同じような状態。

 

唯一付き合いの長い友人達に関しては、あまりそんな風に感じないかもしれない。

 

この差はなんだろう。

 

期待される関係かな。

 

理想の暮らし

転職のキャリア面談して、求人とか送ってもらってるんだけど、ピンとこない。

 

どう働きたいかよりもどう暮らしたいかを先に考えたほうがいいのかなぁと思い始めてる。

 

自分にとっての理想の暮らしとは。

 

猫1匹と大型犬1匹(シベハス)といっしょに暮らす。野菜が育てられて、ハンモックがおけるような庭のある家。屋上か、縁側で星をゆっくり眺めるような時間があるといい。

 

でも一人で住むことになるだろうから、あまり広すぎても寂しいだろうな。

人が少ないほうがいいけれど、友人に会うためにあまり東京から交通の便が悪い場所はよくないかな。

 

高い建物が少ないところがいいな。

地域でお祭りとかの交流はあるといいな。

ご近所付き合いは挨拶程度はできるといいな。

仕事は、残業とか持ち帰り仕事は無いようなものがいいかな。

 

残業とか持ち帰り仕事がなかったら、子供の頃のように家で絵を書いたり、HP作ったり色々と趣味の時間がはかどりそうだな。

 

そうなるとまず家探しからなのかね。

 

 

見える世界

It's OK

It's OK

  • Nightbirde
  • シンガーソングライター
  • ¥204

 

ラジオから不意に聴こえた曲に励まされて、

なんだっけこの曲と思って調べたら

彼女の曲だった

 

短い生を終えた彼女から見える世界

彼女がもっと生きていたかっただろう世界

そう考えると死んだように生きているのが情けなくなる

 

 

自己肯定感

自己肯定感か低い自覚は昔からある。

 

自己肯定感を高める方法として成功体験を増やすとでてくることがあるが、これは本当に否定していきたい。

自己肯定感は、良い自分を肯定しても強化されない。だめな自分を肯定するこも違う気がする。

 

好きな自分を肯定するのはどうだろう。

自分のどんなところが好きか。

 

 

 

 

何かをやめるということ

今年は会社を辞めるぞー!と先月までは意気込んでいたのだけれど、今月にはいって、仕事が忙しかったり、仕事の取引先や部下との関係がなんだか良好で良い感じだったり、キャリアカウンセラーとの面談で、転職先考えるの面倒くさいなぁという気持ちになってしまったのもあり、転職しなくていいかな…という気持ちになってきてしまっている。

 

でも、休みの日が終わらない仕事で1日潰れたり、休みの日なのに仕事のことで落ち着かなかったり、上司に怒られたり、やりたくない仕事、苦手な仕事をしたり、どうしようもないミスをしたり、向いてないなぁと自分、普通じゃないのかなぁと落ち込んだりして、また辞めたいなぁという気持ちになるのは目に見えてるし、どう考えても、いまの直の上司のサポート的な立ち位置だからやっていけてるけど、直の上司が退職(立場を引退)したら、この仕事はこなせないし(嫌いだし苦手な仕事だから)、どう考えても行き詰まるんだよな。

 

そして、この、やめたい〜そうでもない〜やめたいの波が死にたい(人生やめたい)の波に似てるなぁと。基本的にいつ死んでもいいんだけど、その中ですごい死にたい時期〜死にたいことを考えてない時期を行ったり来たりしてる感じ。

 

 

死にたいの話になったから死にたいの話をしよう。

 

私自身、小学生の頃には「死にたいなぁ」、誰かに「死ね」っていわれたら、校舎の窓から飛び降りてやろうかなと思ってた記憶があるくらい物心ついてからはうっすらと死にたい人生。

中学生のころに、【息子に自殺されたけどなんで息子が死んだかわからない母親】の講演会を聞かされたときには『息子をネタに講演会するような、自殺に理由を求めるような母親だから自殺したんだろ』と自殺する人に共感を覚えてた。

それでも高校生の頃に病弱だけど精神的に強い友人Mを失望させまいと「死にたい」自分を封じてた。

だけれど大学生の時にできた友人Nから「死にたいと思ったことがない」と聞いたときには、そんな人もいるのかと衝撃だった。割と波乱万丈な人生を送ってそうな子だったので尚更。

 

実際、別に自殺騒ぎを起こしたことも、ましてやリストカットさえしたことはないので(むしろ姉が高校生の頃にリストカットしてるっぽい跡があり、それを病んでるアピールにしか思えず、確実に死ぬ方法で死ねよと思ってた)、これが世に云う“死にたい(希死念慮)”なのか、そこまでのものではないのか未だにわからない。

 

先日、『死なれちゃったあとで』という本を手に取った。そのなかにでてくる死んでしまった友人もずっと死にたい人だったんじゃないかなと勝手に思って、結局死ぬか死なないかはタイミングなんだよなと勝手に結論付けた。

 

だって、過去に飛び降りたり、薬を飲んだけど自殺に失敗した俳優さんをふたり知ってるけど、彼らが今も活躍してるのをみると、どうしてもタイミングだよなぁと思ってしまう。

 

死にたい気持ちが溢れた時に、友人から間接的な「死なないで」というメッセージを何度ももらって本当に感謝してる。彼女たちがいなかったらもうとっくに人生をやめているかもしれない。

 

人の迷惑(汚点)にならないならとっくに死んでしまいたい。

 

 

 

 

全般性不安障害

なんか気持ちがグチャグチャした時に、とりあえずググって自分に当てはまるものを探すのが癖になっているんだが、なんだが漠然と緊張感のある深い悲しみの中にいる今日の気持ちはどうやら【全般性不安障害】が近いなぁという結論。

 

特徴は、

様々な出来事や活動に対する過剰な不安と心配が基本的特徴です。例えば、仕事上の責任を果たすこと、健康や家計、家族への災難などを毎日のように心配しています。心配する内容は年代によって異なる傾向があります。子どもと青年は、学校の成績やスポーツの出来映えを心配し、年配者は家族の幸せや自分の健康についてよく心配します。心配の対象が移り変わることもあります。 これらの過剰な心配は、仕事や家事など、本来すべき作業を効率的に処理できないことにつながります。本人もそれに気づいていますが、自分自身で心配を抑制することが難しい障害です。

また、この障害のある人は、精神面のみならず身体にも不調を来します。WHOの診断ガイドラインICD-10」によると、運動性緊張といって、絶えずいらいらし、振戦(震え)、筋肉の緊張などを経験することがあります。さらに、自律神経性過活動といって、発汗、頭のふらつき、動悸、めまいとみぞおちの不快感を覚える人も多くいます

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とある。

「過剰な不安と心配」ってどの程度なんだろうか。

小さな子供の頃は、寝ている間に家族が死んでしまったらどうしようと毎晩思っていたり、中学生の頃は特に理由もなく涙が止まらず1時限分突っ伏していた頃はある。高校生の頃は、部活の後輩が大勢で慕ってくる圧に涙が煽れてしまったり…大学生のときは特にないかな? 

 

というか、こう書いていると、ちょっと違う気がしてきたな。継続的な具体的な不安事、心配事という感じではないんだよな。ふむ…。

 

ただ、原因に書いてある気質と環境は割とがっつり当てはまる気がする。 

はにかみって愛想笑いのことかなと思うんだけど、どうなのかな、ちょっと違うのかな?

愛想笑いの癖はすごいあるんだよな…愛想笑いのつもりじゃなくても愛想笑いといわれるくらい。愛想笑いすんなと言われると愛想笑いになってしまうので愛想笑いという言葉はちとトラウマ。

気質要因:
行動抑制(人見知り・内気・はにかみ・引っ込み思案)や否定的感情(神経症的特質)、危険回避といった気質は、全般不安症の発症に関連しています。

環境要因:
子どもの頃に経験した逆境や親の過保護は、全般不安症と関連するとされています。しかし、この障害特有のものであるとか、診断を下すのに不可欠または十分な環境要因とは限りません。

ハートクリニック|こころのはなし

うだうだ書いてたら眠くなってきたからここまで。

あとで、気質要因のところの心理学用語?もっと深く調べたいな。